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地域の食と農の未来を築く(にじ 2012年 夏号 No.638 オピニオン)

地域の食と農の未来を築く

鈴木 宣弘
にじ 2012年 夏号 No.638

すでにTPPが農村現場を壊し始めている

 いま農村現場を回っていて一番心配になるのは「これから息子が継いでくれて規模拡大しようとしていたのだが、もうやめたい」と肩を落とす農家が増えていることである。TPP問題が長引くと将来の投資計画も進められないから、現場の動揺と憔悴が広がってしまう。すでに被災地のみならず、北海道から沖縄まで全国でこうした事態が深刻化してきている。TPP参加の判断以前に、TPPの影響が日本の農業・農村を破壊し始めている。

 まず、こういう後ろ向きの思考に歯止めをかけねばならない。むしろ、TPPの議論を契機に農林漁家がもっと元気になるための取組み、現場で本当に効果が実感できる政策とは何か、地域の食をみんなで支えていく意味は何かということを地域全体で前向きに議論をする機会にしなくてはならない。

農林水産業の営みというのは、健全な国土環境と国民の心身を守り育むという大きな社会的使命を担っている。その大きな思いと誇り、そして自らの経営力・技術力を信じることが、厳しいときにも常に前を向いて進んでいく底力を生み出してくれる。簡単にへこたれるわけにはいかない。そして、一日も早くTPP問題を収束させなくてはならない。

 

食と農の理解に正面から取り組む

 TPPへの日本の参加問題では農業関係者が大きな反対の声を上げたのを逆手にとって、「農業が問題なのだから、農業改革をすればTPPに入れる」という論点の矮小化を図り、その他の問題については「国民に知らせると不安が広がるから、徹底して情報を出すな」という戦略を政府やマスコミが展開した。

 そこで、農業関係者も農業の問題を正面から議論するのは逆効果と考えて他の分野に、いかに大きな問題が生じるかを説明したほうがよいという方向を指向し始めた。この戦略には妥当性がある。

 しかし、これで本当に日本農業にとっての本質的な問題解決につながるだろうか、ということも問い直す必要がある。我々が本当に解決しなくてはならないのは「1俵3,000円くらいで、けっこう美味しいカリフォルニア米が大量に輸入できるなら、国産でなくてもよいではないか」と言う消費者が多数存在し、「日本に農業があることの意味」が国民に共有されていない現実である。

 この問題に正面から取り組んで、消費者・国民の理解を得られるようにしないかぎり、農業に対する「間違った」批判を根本的に解消することはできない。消費者が悪いと言ってみてもしょうがない。なぜ、いままで農業がここにあり国民の食を支え地域を支えている価値を伝えきれていないのか、それは生産サイドの責任も大きい。

 「農業関係者が言っても聞いてくれない」と考えるのでなく、本当に現場の最先端で日々努力している農家、そして、それを支える協同組合の努力の真の姿を自らが国民に伝えずして誰が伝えるのかということである。

 

「強い農業」とは?

 農業の構造改革をして「強い農業」を実現すべきだとの指摘もあるが、規模拡大してコストダウンするだけで「強い農業」なのかというと、オーストラリアの採算のとれる規模が1万haというような経営と同じ土俵で競争しても勝てるわけがないことは、まず認識しないといけない。

 むしろ、そもそも立地条件は悪いのだから「少々高いけれども、モノが徹底的に違うからあなたのものしか食べたくない」という消費者との信頼関係を作れるかどうかが、本当の意味での「強い農業」ではないか。

 それはスイスが実践している。スイスは山国で生産コストは周辺国より3割も4割も高いけれども、周辺国から安いものが入ってきても負けないという自信を持っている。そのキーワードはナチュラル、オーガニック、アニマル・ウェルフェア(動物福祉)、バイオダイバーシティ(生物多様性)、美しい景観などだという。

 生産過程において徹底的に環境、生き物、景観に優しい取組みをすれば、できたものも人に優しい、ホンモノで安全でおいしいものになる。これはすべてつながっているのだから、こういう生産をしてくれる皆さんを支えるという消費者との合意ができている。

 筆者が訪ねたときも日本に比べ3倍も4倍もするスイス国産の1個80円の卵がよく売れていた。それを買う小学生くらいの女の子にインタビューしたテレビの番組で「これを買うことで生産者の皆さんの生活が支えられて、そのおかげで私たちの生活が成り立つのだから当たり前でしょう」と、その子はいとも簡単に答えたと聞いている。

 これを「日本の消費者は価値観が貧困だからだめだ」と言ってしまえば身も蓋もないが、そうではなく、スイスでは特に生産者、農協、関係団体、行政、生協などが連携を取って、何がホンモノかについて小手先のマーケティングではない形で、その誠意とストーリーを伝えることに成功しているのである。

 

踏みとどまる力

 特に日本と違う大きな条件はスイスの場合はMigroという生協が食品流通の7割近いシェアを持っているので、スーパーが安売りすると言ってもスイスではMigroが、このホンモノにはこの値段が必要と考えれば、それが実現できる。この「踏みとどまる力」が違うのである。

 2010年のコメの暴落でもわかるように、日本では大手の卸が戸別所得補償制度を織り込んで安く買おうとしたのではないかという指摘もある。過度にそういうことが起こると、結局JA組織としても自分だけ高く売っていたら売れなくなるから踏みとどまれない。生協も自分だけ高く売れないということで、みんなが総崩れになってしまうのが日本の姿である。

 スイスはそのような「踏みとどまる力」を持っているように見える。日本では小売部門の力が強すぎて、買いたたかれる状況が強まっている。JA組織や生協などが「踏みとどまる力」を持っているかどうかが問われる。一つひとつの組織がかりに小さくても、そのネットワークによってそういう力を持てるようにすることは不可能ではない。

 目先の自分の利益を追求しすぎて、それで生産現場がもっと苦しくなったら、結局自分たちもビジネスができなくなる。消費者も安いものが買えると思っていたら、生産サイドがさらに疲弊してしまい、自分たちも食べるものがなくなる。これでは、みんなで泥船に乗って沈んでいくようなものである。生産から消費まで、関係者全体が持続的に発展できる「適正な」価格形成できるかが問われる。

 

自発的な地域プロジェクトへの期待

 自発的な地域プロジェクトがいろいろな地域で立ち上がっているのは注目される。そこに農林水産業があることによってその土地、環境が守られ、観光産業も含めて関連企業、商店街、コミュニティも成り立つのである。全国にそういう地域が広がっている。それを地域のみんなが自覚し、どうやって地域の食と農を役割分担して支えていくかについて考える必要がある。

 このような「絆」こそがホンモノにホンモノの値段を形成し、本当の意味での「強い農業」につながるのではないか。そういう流れを強化するためのトータル・コーディネーター、ファシリテーターとしての役割も協同組合に期待されている。

協同組合批判をどう克服するか

 しかし、一方、農業協同組合の活動に対するメディアなどの意図的な批判も多く一般の方々からも、そうした報道の受け売り的な批判を含め、農業協同組合組織に対するネガティブな意見を耳にすることが非常に多くなってきているのも残念ながら事実である。

 しかし、こうした批判にへこたれている場合ではない。各地の協同組合こそが、まさに地域コミュニティの支柱として地域の農業と、それを核にした地域住民の生活全体を支える地域協同組合としての役割を今までも果たしてきたし、さらに将来に向けて、そうした役割を今こそ強化し、被災地の「コミュニティの再生」のみならず日本の地域の再生に寄与する中心的存在となることが求められ期待されている。

 様々な批判を払拭するためには揺るぎない実績の強化によって農家と地域住民の信頼をさらに強固なものにし、国民全体に納得してもらうことが急がれている。

 JC総研は、そうした協同組合の取組みを強化し、地域農業と地域社会の持続的発展に資するために地道で、かつ、タイムリーな調査・研究を発信し続けている。前任の今村奈良臣所長とはとても比較にもならないが、微力ながら、私もできることを分担して日本の食と農の明るい未来を切り開くために全力で取り組みたい。

 

鈴木 宣弘(すずき・のぶひろ)

1958年三重県生まれ
1982年東京大学農学部卒業
農林水産省、九州大学教授を経て
2006年東京大学大学院教授専門は農業経済学、国際貿易論日中韓、日コロンビアFTA産官学共同研究会委員、関税・外国為替等審議会委員

【主な著書】
『よくわかるTPP48のまちがい』(共著、農文協、2012年)『震災復興とTPPを語る-再生のための対案』(共著、筑波書房、2011年)『TPPと日本の国益』(共著、大成出版、2011年)『食料を読む』(共著、日経文庫、2010年)『現代の食料・農業問題―誤解から打開へ』(創森社、2008年)『農のミッション』(全国農業会議所、2006年)等