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「『協同』という文化」明治大学教授 大高研道(にじ 2018 秋号 No.665 オピニオン)

「協同」という文化

大高 研道 Otaka Kendo 明治大学 教授
にじ 2018 秋号 No665

 第96回国際協同組合デーの7月7日に開催されたJCAの公開研究会は、協同組合と文化というテーマで行われた。その内容は、本号の特集に掲載されているが、文化活動に深く関わっている協同組合の実践報告からは、協同組合の本質を考えさせられる多くの示唆を与えられた。

 私たちは素晴らしい芸術作品に接したとき、感動を覚える。しかし、多様な人びとのかかわりによって成り立つ文化協同組合の試みが与えてくれた感動の世界は、それとは少し異なる。

 市民主体の文化活動に接したとき、私たちは何に感動するのか。完成形としての作品に接するだけであれば、その評価軸はある種の美の基準によることになる。しかし、文化の享受者をも含めた多様な人びとの参加によって「創りあげるプロセス」を大切にする文化協同組合の営みには、参加と協同の力によって生み出される感動の世界がある。私たちは、協同のストーリーに感動するのではないだろうか。一方的に作品を提供するのではなく、人びとを繋ぎ、地域の暮らしのなかで「協同という文化」を創造する媒介として文化協同組合が機能しているといってもよい。

 とはいえ、協同組合と文化について語るとき、払拭できないひとつの疑念が残る。それは、これらの営みが協同組合が重視している「文化的なニーズ」(ICA定義)、さらには憲法二十五条に明記されている「文化的な生活」の実現にどのように寄与しているのかという点である。もし、「暮らしを向上させる工夫のすべて」が「文化」(佐藤一子『地域文化が若者を育てる』農文協、2016)であるとすれば、協同組合による文化的な営みがいかなる意味において、その役割を果たしているのか。

 2016年、ユネスコ無形文化遺産として協同組合(共通の利益の実現のために協同組合を組織するという理念と実践)が登録された。無形文化遺産登録はドイツの提案によるものであるが、国民が自分たちの文化的遺産として認知していることがベースにあって初めて登録が実現したという理解は肝要である。このように考えると、協同組合という形式ではなく、協同という普遍的価値が人間らしい暮らしの実現に不可欠であるという認識が共有されているという事実にこそ、文化としての協同(組合)の本質が埋め込まれているように思われる。そのような協同の文化をいかにして守り育てていくかが、今、まさに問われている。