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木を見て森を見ない人々 (にじ 2019 冬号 No.670 オピニオン)

木を見て森を見ない人々

杉本 貴志 Sugimoto Takashi 関西大学 教授
協同組合研究誌 にじ 2019 冬号 No.670

 おかしなことを言う人には2種類のタイプがある。とにかくめちゃくちゃなことを言う人と、言っていることは部分的には正しいのだが全体としてはどう考えても変なことを言う人である。
 いうまでもなく、より厄介なのは後者である。
 こういう人を説得するのは大変だ。あなたの言うことは誤りですよと納得してもらうのが難しいのである。ニワトリは飛べない、この島の生物で飛べないのは爬虫類だ、だからニワトリは爬虫類だ、という主張を崩すのには、それなりに手間がかかる。
 こういう人は、自己の主張に確信を持っているから、まさか自分がとんでもないことを言っているとは夢にも思わない。
 “アメリカ産の米は日本の米と同等に美味しい。安全性も全く変わらない。唯一の違いは価格で日本の数分の一だ。消費者が求めているのは美味しく安全で安価なものだ。つまり日本産ではなくアメリカ産の米である。米の全面市場開放が急務なのだ・・・。”
 “協同組合は組合員の利益を確保するためにある。しかし他の店よりも高い価格で組合員に売ったり、他のルートよりも低い価格でしか組合員がつくったものを引き取らなかったりする例が無数にある。要するに組合員のための事業ではなく、組織の儲けのために事業をしているのだ。協同組合なんかいらない・・・。”
 単純でわかりやすく、部分的に切り取って見れば間違ってはいないことを大声で言う人に対して、反論するのは骨が折れるのである。
 合成の誤謬という言葉がある。たとえば、不景気になって給料が下がり、雇用が危うくなったとき、個々の消費者は節約をして生活防衛に努めるだろう。個人の生活だけを見れば、それは誤った態度ではないが、皆がそういう行動を取ることにより、消費需要は落ち込み、景気はさらに悪化してしまう。個々の局面だけを見ての判断はそれなりに合理的であっても、全体として見ればそれは不合理だということがあるのである。
 景気が悪化して賃下げや首切りが横行しているときに、「生活を守るためにもっとどんどん消費しましょう」などと言ったら、頭がおかしいのではないかと疑われ、誰にも相手にされないかもしれない。いまの時勢では、規制改革を拒む既得権益の固まりとみなされている各種協同組合を擁護することも、それに近いものであろう。
 市場の原理を唯一の尺度として個々の取引の損得を判断するだけではなく、組織全体の存在意義を、コミュニティという文脈の中で、将来世代のことまで視野に入れて、考える。そのような、単純ではないが故に主張するのにも理解するのにも時間と根気が必要な議論が、いま求められているように思うのである。