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ビジネスモデルの新旧議論(にじ 2017 臨時増刊号 オピニオン)

ビジネスモデルの新旧議論

 

勝又 博三
にじ 2017年 臨時増刊号

 旧友との会話で、「JAはビジネスモデルとして旧態依然としている」旨の発言があった。JAとも取引のあるビジネスマンだけに、発言には何らかの根拠があるのだろうと思い、その理由を質してみた。

 「業容の拡大や縮小、業態変更に伴う自由な組織再編は経営として必須なのに、JAはせいぜい合併するくらい、少し先に進んでも一部事業譲渡くらい」、「次に、経営判断の遅さ、担当のレベルまで進んでもその先が一向に進まない、こんなことでは折角のビジネスチャンスを失うだけ」、「さらに言えば、儲けの少なさ。利益水準を他の業態と比較すれば一目瞭然」、「総じて考えなければいけないのは、現代の激しく変容するビジネス環境に経営として適切に対応しているかという評価かな」。「なるほど、なるほど」と、相槌を打ちつつも、どこかに違和感と幻視感を覚えざるを得なかった。

 「自由な組織再編」というけれど、相乗効果や相補効果を安易に確保しようとして行った買収・合併や分割が、結果的に株式価値の下落を招いた事例は数知れない。

 例えば東芝のように企業の存続が危ぶまれる事態も招いているのではないだろうか。

 「意思決定の遅さ」を感じることはあるが、概して「丁重なお断り」の手段として使われていることも多いのではないか。しかし、かつて独断が経営危機を招いたような経験は、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」仕組みになっていたりすることがある。組織・事業体として相応しい分権や業務執行ができているかは不断に見直しをする必要があろう。

 「儲けが少ない」というのは、なかなか言い得て妙だな、と感じる。確かに「大きく儲ける」ことで株価や報酬の上昇をもたらすかもしれない。それが本当の意味で「富の創造」なのだろうか?日本のバブル崩壊や、欧米のリーマンショックは、「儲け」は「富の創造」ではなかった顛末と認識されているのではないか。もちろん懲りない人々は「俺もお前もそのころにはいない」という無責任な文化で、相も変わらず「儲けた」「儲かった」とだけ騒いでいるようだが。

 「ビジネス環境への適応」が必要ということで、信託会社が日本版スチュワードシップとして、企業行動への関与を強める一環で株主議決権の行使状況を開示している。でも、星取表を見ているようで、投資先が適切に環境に対応しているのか否かの評価・判断はわからない。