刊行物

戸惑いながらも、歩みをとめるわけにいかない~政策に包摂されない言葉を、実践の中から生み出し磨いていく(にじ 2017年 春号 No.658 オピニオン)

戸惑いながらも、歩みをとめるわけにいかない~政策に包摂されない言葉を、実践の中から生み出し磨いていく

田中 夏子
にじ 2017年 春号 No.658

 福祉領域で活動する団体の話し合いの場に足を運ぶと、まずは昨今の政策に対する懸念が飛びかいます。医療費自己負担引き上げ、高齢期の医療保険料の特別軽減廃止、年金支給額カット、介護保険でも特養入所基準の厳格化、サービス利用料金の負担増等、社会保障制度がどんどん切り下げられるからです。

 同時に、こうした場での共通の戸惑いがあることにも気づかされます。地域での助けあいの強化等、「共助」の衣をまとった「自助」「自己責任」が強調されている点に対してです。例えば以下のようなやりとりが交わされます。「政府の言い分は無茶苦茶だ。しかし地域での助けあいの仕組みは、私たちがずっと以前から市民自治で作り上げてきたものだ。だから政府のいう共助が自助の強要とわかっていても無下に否定はできない」。「自分たちで作り上げてきた助けあいの仕組みには誇りを持っている。しかし国から政策として降ろされてくるとカチンとくる。政策や財源の不備を補うために一方的に利用され、台無しにされるのではないか」と。

 市民自治、住民自治によって試行錯誤しながら地道に作り上げられてきた助けあいや地域課題解決の仕組みは、実に多く存在します。まちづくり協議会、地域自治・自主組織、参加型福祉、労協の地域福祉事業所、生協の「助けあい」、JAの「支店協同活動」等の他、近年の「まちの縁側」や「子ども食堂」の広がりもその一環といえましょう。そして政府側は、この市民自治の大きな流れを、この間、政策の中に憎いほど巧みに織り込んできました。

 例えば昨夏出された「地域包括ケアの深化・地域共生社会の実現」(厚生労働省)では、「『他人事』になりがちな地域づくりを地域住民が『我が事』として取り組む体制を市町村による支援のもとで構築する」とし、同時に対象者ごとの「縦割り」の公的福祉サービスを「丸ごと」へと転換するとのこと。

 ここに登場する「我が事」論は、当事者意識をいかに共有していくか、市民運動が長く苦慮してきた課題です。また「丸ごと」論は、当事者主体の活動があったればこそ可能となった相互理解・承認関係に基づく発想。その長いプロセスを中抜きして、効果的なキーワードにまとめ上げてしまうことに危うさを感じるのは、市民感覚として当然の直観でしょう。

 「そんなに簡単に言ってもらっては困る」という思いを受け止め、自分たちの活動を語る言葉の吟味、さらにいえば、自治構築のプロセスを「中抜き」にしない「語り方」を開発する作業が、私たちには求められています。