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共済:いのちとくらしを支え社会をつくる(にじ 2018 春号 No.663 オピニオン)

共済:いのちとくらしを支え社会をつくる

本間 照光
にじ 2018 春号 No.663

 古来、水(自然)を治める者は国を治め、政(まつりごと)と経世済民(経済)の大もとは民がそこそこに食えることだ。そうでなくなっている。核によって勝つという、核時代(核兵器、原発)の狂気が強まっている。日本では、金融資産ゼロと答えている人たちが、2人以上世帯で31.2%、2017年の日銀の調査だ。10年ごとに10%、20%と上がり、今では30%を超えた。

 思えば、「社会」というふろしきに包まれて、自然と結び、生業、人びとと一人ひとりのいのちとくらし、生老病死、リスクがある。保険や共済は、その社会を映し出す鏡であり能力だ。人びとが自分たちでいのちとくらしを支え社会を運営する能力が、ますます大切になっている。それを許さないとするのが、日米保険合意と共済規制であり、その先の今日の協同と協同組合への強圧だ。協同組合もまた、広く人びとの協同の協同を体現することなしには、自らの危機をも克服できない。

 協同組合とは何か。ILO(国際労働機関)が、2002年6月に「協同組合の促進に関する勧告」を出している。法の有無によってではなく、あらゆる種類と形態とされている。法に基づく協同組合はもちろん、広く協同自治組織、市民と市民運動の社会的協同が含まれる。“協同”、“協同の協同”だ。これについて、協同組合も研究者もほとんど取り上げていない。協同組合の独自性を重視するあまり、あえてそれに触れないということなのだろうか。そうだとすると、まったく逆といわざるをえない。もともと社会に開かれ社会的課題を担うはずの自らの存在をせばめ、社会と社会問題を背負って立つ気概を内外に示す機会を閉ざすことになるからだ。

 「社会」というふろしきに注目すると、人間の歴史したがって保険も共済も、ずいぶんちがってみえてくる。商品経済そして資本主義とともに、保険という商売が生まれてきた。保険としてあらわれる歴史の余白から、相互扶助を失った社会の姿が浮かび上がってはこないだろうか。社会と協同そしてその総合性から、離れないことだ。

 今、「社会」のふろしきは穴ぼこだらけで、いのちとくらしがふりこぼされている。相互扶助の現代的形態たらんとするとき、共済に何ができるのか。視野と経験が共有されることで、今ここにある課題といつもの仕事の意味もみえてくるのではないか。