刊行物

コロナと協同 (にじ 2021 春号 No.675 オピニオン)

コロナと協同

濱田 武士 Hamada Takeshi
北海学園大学 教授
協同組合研究誌 にじ 2021 春号 No.675

 2021 年が始まり、もう一ヶ月が過ぎようとしている。この時期、私が暮らす札幌では例年ならば雪まつりに備えて大通公園での雪像づくりが終盤を迎え、賑やかになっているころである。しかし、今年は雪まつりが中止となり、大通公園は閑散としている。北日本最大の歓楽街とされる“すすきの”においても北海道知事の営業時間の短縮要請があってこれまた閑散としている。それ以外の地域は同じ札幌市でも時短要請がないので、時短営業も休業もせず、店を開けている。しかし自粛ムードが広がっているせいか、飲食店は常連客ですら来なくなっている。“ すすきの“ と違って協力金が支払われないので大変そうだ。

 昨年の今ごろを思い出すと、中国武漢でのCovid-19 の感染拡大と都市封鎖の話がニュース番組で度々取りあげられるようになっていた。そうしている間に、武漢から北海道を訪問していた中国人観光客の1人が千歳市で体調不良を訴えて病院に運ばれ、検査したところCovid-19 の感染者だったというニュースが流れた。1月29 日のことである。

 それまでの札幌は、雪まつりをピークに中華系、東南アジア系の外国人観光客で賑わい、飲食店や小売店はそのインバウンド効果で潤っていた。しかも、ホテルが不足していることからホテルの建設ラッシュが始まったばかりだった。いうまでもないが、その後は悲惨な状況である。

 それでも、世界各国が金融緩和を続けているためか、金融経済は好調で株価は高止まりしている。投資家は何を期待しているのだろうか、私にはさっぱりわからないが、アフターコロナにおいて上場会社が皆一稼ぎしてくれると思っているのだろうか。

 それはそれで良い。だが、それらは明らかに我々の足下の経済をなんとかしてくれるものではない。アフターコロナでは、新たな需要、新たな仕事、新たな働き方を地域に生きる自分たちでつくっていく他なくなる。

 そんな状況が見え始めたころ、念願の、あの法律が制定されるに至った。労働者協同組合法である。

 ただし、これは法的な「器」。大事なことは「協同労働」の目指す本質は何かというところである。労働が商品にならないということであろうが、この「器」に入る「労働者の関係」のことである。それは出資、事業利用、組合員などといった規約や理論を通じた「関係」ではあるが、私が期待したいのは、それにおさまらない、何か超越したような「関係」である。柔軟で、しなやかで、調和的な、である。